生きよう

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2012.11.26 Mon 生きよう

大学受験に失敗した僕は、

九州の祖父に会いに行った 。

もう何年も会っていなかったし 、

祖父もだいぶ歳を取り、

病院から退院したばかりだった。


九州の祖父の家に着いた僕は、

病院に行っている祖父を

何をする事もなく、

ぶらぶらと待っていた。

小屋のような小さな家の縁側に座り、

外を見ていた。


その時 、庭先に繋がれた飼い犬が吠えた。

吠えた先には、飼い犬と同じ柴犬が

鎖を引きずって、こちらを見ていた。


「姫っていうのよ」

祖父の側に住む叔母が教えてくれた。


姫は祖父が二年位、飼っていた牝犬だ

祖父は姫をよく可愛がり 、朝夕の散歩を続けていた

体調を悪くし、足を悪くし、入院が決まった頃

血統のいい姫は祖父の知人に、飼い犬の嫁にと請われ

世話も出来ないことから、貰われていった。


僕は縁側から下りて 、姫の側に行った 。

姫は常に一定の間隔を取って、僕を見ている。

「おじいさんが入院してからも、姫は鎖をひきちぎって

この家に何度も来るのよ」

姫は車で三十分は掛かる道のりを

どうやって知った道なのか、鎖を引きずりながら

祖父に会おうと、走って来た。

夕方まで待って姫は、

叔父さんや叔母さんに追い返される。

入院する祖父を捜して 、祖父のいない家に向かって何回も吠え

あきらめて、今の飼い主のもとへ帰って行く。


そして、その日は祖父が退院して間もなくの頃で

姫は妊娠した乳房と腹の膨らんだ体で

姫は遠い道のりを祖父に会うだけのために、走ってきた。


僕は道伝いの低い塀に座りながら

一定の距離を保ちながら

僕を見る姫に、話しかけていた。

「姫、お前って本当にやさしい奴だな…

おじいさん、お前のこと見つけたら大喜びするな

もうすぐ、帰って来るって言ってたぞ!

俺も、東京からさっき飛行機で来たばっかりなんだ。

腹へってないか、咽乾いてないか?」


2時間も待っただろうか…。

杖をついた老人が、坂の上から歩いて来た。

かなり痩せてはいるが、

一目見て、祖父だとわかった。


そばにいる姫が、

祖父に駆け寄るかと思いきや、

姫はしばらく

その場を動かなかった。

そして、祖父が僕に気付いて

片手を上げた時、

姫は祖父に向かって、

全速力で走り出した。


僕も走った。

姫を追って、祖父のもとへ…。


その時だ、僕の目の前で

「帰れ!!」

「せからしか、、」

祖父が杖を地面に叩きつけて

姫を追い払った。

姫は驚いて、後ずさりすると、

もう一度、祖父のもとへ

近づこうとした。

「シッ!」

「なして、、」

祖父は杖をまた地面に叩きつけると

帰れと、なおも強く

姫を追い払った。


狭い脇に草の生えた、砂利道だった。

姫は祖父のことを

哀願するような瞳で見つめ、

淋しそうな泣き声をあげた。


それでも、祖父は姫を近づけなかった。

姫はしばらく祖父を見つめていた。

ほんとうに、祖父をずっと見つめていた。

そして、何かを察したかのように

やがて、後ろを向いて、

遠く祖父のもとを、離れて、

細い荒れた道を、

駆けて行った。



「おじいちゃん、

なんであんなことをするんだよ!

姫はおじいちゃんに会いに、

遠くから来てるんだよ!」

僕は高ぶる感情のまま、祖父に

言葉をぶつけた。

祖父は静かに僕に言った。

とても優しい瞳だった。

「ひろしゃん、

姫は、

あん犬は、

人様に一度やった犬ばい。

しょんなか、、

もう、うちで飼うことはでけんばい。

そいに、赤ん坊が腹ん中にいなさる、

もうすぐ、子犬ば産みなっしゃる、

あげんか体で行ったり来たりしてたら

ほんに、姫も死んでしまうばい。」

諭すように、僕に言った。


姫はそれから、祖父のもとへ来ることはなかった。

そして、暫くして、子犬を産んだ。


数年後、祖父は亡くなった。

祖父は事あるごとに、姫のことを気にし

姫の体のことを気遣い、

姫に子犬が産まれた時には、

「これで姫に、旨い肉ばこうて食わしてくれんね」

と、飼い主に、お金まで渡した。


何十年も犬達と生活し

自分が死ぬ前に飼った犬が

姫だった。

最後まで面倒を見切れなかった事を

悔い、

姫の幸せを、心から願った。


祖父は強く優しい人だった。

怒ることなど、

ほとんど、なかった。

大きな体で、いつも微笑んで

人の心配と世話ばかりをやいていた。


妻を愛し

子供を愛し

家族を愛し

友を愛し

仕事を愛し

地域を愛し

九州を愛し

国を愛し

犬を愛し

孫たちまで

ほんとうに、愛してくれた。

けっして弱音を吐かない

明治の男だった。

すべての風を、すべての嵐を

全身で受けとめられる

大木のような「守れる人」だった。



おじいさん

ありがとう…

心から、ありがとう。


2009.04.25 記す