生きよう

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2013.09.29 Sun 生きよう

汚染牛は生きています  福島の牧場で

汚染牛は生きています  希望の牧場で

みんないつか忘れています みんないつか忘れています

だから神様、その炎で、僕を焼き尽くして下さい


餌を失った汚染牛は、痩せて細っていきます

餌を失った汚染牛は、痩せて死んでいきます


みんないつか笑っています みんないつか笑っています

だから神様、その笑顔で、僕を焼き尽くして下さい


汚染牛は汚れた牧草を、分け合って食べていました

僕は街の明かりに燦々と、照らされて眠っていました


みんないつか笑っています みんないつか笑っています

だから神様、その炎で、僕を焼き尽くして下さい


2013.09.28 Sat 生きよう

目覚めとともに、今日が始まる。

目覚めてみれば、両足をトイレに突っ込んで寝ていた。

記憶にない。

天井を見ながら、

家であることは間違いないのだけれども、

ここがどこであるのか、記憶をまさぐった。


ほとんど人のいない電車の中、

げろを手で押さえながら、

また駅の隙間で吐き捨てながら、

ふらふら酔っぱらいながら、昨日の夜は家に帰ってきた。

帰り道、20回以上水のように吐いて、

小田急線の下り最終と、小田急線の上り最終と、

相鉄線の最終列車を、優しい駅員に声を掛けられながら、

乗り継いで帰ってきた。


家のインターフォンを押せば、

眠たそうに無言で開いて、

トイレにしがみ付いて、最後のアルコールを吐きだした。


ライブで聴いた歌は、どこかマンネリズムで、

打ち出されるホチキスの針のようで、

ささやかな寂しさと、それでも楽しい気分で、

四畳半の夜を過ごした。


「瞬間ですよね、、。」


70歳を過ぎた店主と握手をして店を出るとき、

ぼくの酔っぱらった脳みそは、

いやみったらしく言葉を吐きだした。

親愛なるアーティストの心が、

感受性の強い心がそこに淀んでいることを、

感じながら、、。

2013.09.16 Mon 生きよう

台風一過、ふらりと父の見舞いに行った。

病室に入ると、車椅子に座りぼんやりとしている父がいた。

「やぁ。」と、軽く手を挙げた。

「ずいぶんと心配かけたな。」

「いや、べつに心配はしてないけど、、。」

「台風は過ぎたのか?」

「もうとっくだよ。」

「この間、さっちゃんとなおちゃんがお見舞いに来てくれたよ。

ももちゃんは、小学生はこの病室には入れないから、

手紙をくれって頼んだんだけれど、まだ来ないなぁ。」

他愛もない話をして、車椅子を押して外の景色が見える渡り廊下に行った。

自分が入院しているのに、母が血圧の薬を忘れることを心配して、

僕に薬を飲むのを忘れないように言ってくれという。

子供の頃から父と長く話をすることはあまりない。

息子にとって親父とはいつの時代もそんな関係なんだろう。

ふらりと息子が見舞いに来て、父はどれくらい嬉しく感じるのか?

その歳になってみないと、僕には分らないけれど、

渡り廊下から見た、台風が過ぎ去ったあとの青い稲穂の田園風景と、

街並みを僕は忘れないような気がする。

病院から出ると、夕暮の空に浮かんだ月が鮮やかで、

西の空に滲む茜色の夕日と、ひぐらしの鳴き声と

反対側の煙色の雲が優しかった。

2013.09.11 Wed 生きよう

80歳の父が腰の手術をした。

腰を切り裂いて、ボルトを四本打ちこんで、

癒着を引っぺがして、流れ出した血液を点滴で戻した。

母は痛みが取れればいいという。

痛みが取れれば、言葉も優しくなると思うのよと、、。

父はこの手術で痛みが取れたら、いろんな場所に旅行がしたいと、、。

五年くらい前に脳梗塞で、右半身をやられて、

リハビリをして不格好ながら、歩けるようになったのに、

ここ一年以上、脊柱管狭窄症で痛み止めと針と、

座薬で、もがきながら生きていた。

「痛みが取れればいい。」

手術後、酸素マスクをして、疲弊して眠る父を、

言葉もなく見ていた。

2013.09.08 Sun 生きよう

完全なる答えや、絶対に正しい答えは

無いかもしれないし、

自分には永遠に見つけられない

と、思うけれども、

それが未完成でも未熟でも、

少し奢ったものであっても

正直さに欠けるものであっても、

生きている限り、答えは

常に出し続けなければいけないと思う。

同じ場所にいる必要はないけれども、

自分の行動、言動には責任を持てる

大人でありたい