生きよう

Home > 2012年11月

--.--.-- -- スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2012.11.26 Mon 生きよう

大学受験に失敗した僕は、

九州の祖父に会いに行った 。

もう何年も会っていなかったし 、

祖父もだいぶ歳を取り、

病院から退院したばかりだった。


九州の祖父の家に着いた僕は、

病院に行っている祖父を

何をする事もなく、

ぶらぶらと待っていた。

小屋のような小さな家の縁側に座り、

外を見ていた。


その時 、庭先に繋がれた飼い犬が吠えた。

吠えた先には、飼い犬と同じ柴犬が

鎖を引きずって、こちらを見ていた。


「姫っていうのよ」

祖父の側に住む叔母が教えてくれた。


姫は祖父が二年位、飼っていた牝犬だ

祖父は姫をよく可愛がり 、朝夕の散歩を続けていた

体調を悪くし、足を悪くし、入院が決まった頃

血統のいい姫は祖父の知人に、飼い犬の嫁にと請われ

世話も出来ないことから、貰われていった。


僕は縁側から下りて 、姫の側に行った 。

姫は常に一定の間隔を取って、僕を見ている。

「おじいさんが入院してからも、姫は鎖をひきちぎって

この家に何度も来るのよ」

姫は車で三十分は掛かる道のりを

どうやって知った道なのか、鎖を引きずりながら

祖父に会おうと、走って来た。

夕方まで待って姫は、

叔父さんや叔母さんに追い返される。

入院する祖父を捜して 、祖父のいない家に向かって何回も吠え

あきらめて、今の飼い主のもとへ帰って行く。


そして、その日は祖父が退院して間もなくの頃で

姫は妊娠した乳房と腹の膨らんだ体で

姫は遠い道のりを祖父に会うだけのために、走ってきた。


僕は道伝いの低い塀に座りながら

一定の距離を保ちながら

僕を見る姫に、話しかけていた。

「姫、お前って本当にやさしい奴だな…

おじいさん、お前のこと見つけたら大喜びするな

もうすぐ、帰って来るって言ってたぞ!

俺も、東京からさっき飛行機で来たばっかりなんだ。

腹へってないか、咽乾いてないか?」


2時間も待っただろうか…。

杖をついた老人が、坂の上から歩いて来た。

かなり痩せてはいるが、

一目見て、祖父だとわかった。


そばにいる姫が、

祖父に駆け寄るかと思いきや、

姫はしばらく

その場を動かなかった。

そして、祖父が僕に気付いて

片手を上げた時、

姫は祖父に向かって、

全速力で走り出した。


僕も走った。

姫を追って、祖父のもとへ…。


その時だ、僕の目の前で

「帰れ!!」

「せからしか、、」

祖父が杖を地面に叩きつけて

姫を追い払った。

姫は驚いて、後ずさりすると、

もう一度、祖父のもとへ

近づこうとした。

「シッ!」

「なして、、」

祖父は杖をまた地面に叩きつけると

帰れと、なおも強く

姫を追い払った。


狭い脇に草の生えた、砂利道だった。

姫は祖父のことを

哀願するような瞳で見つめ、

淋しそうな泣き声をあげた。


それでも、祖父は姫を近づけなかった。

姫はしばらく祖父を見つめていた。

ほんとうに、祖父をずっと見つめていた。

そして、何かを察したかのように

やがて、後ろを向いて、

遠く祖父のもとを、離れて、

細い荒れた道を、

駆けて行った。



「おじいちゃん、

なんであんなことをするんだよ!

姫はおじいちゃんに会いに、

遠くから来てるんだよ!」

僕は高ぶる感情のまま、祖父に

言葉をぶつけた。

祖父は静かに僕に言った。

とても優しい瞳だった。

「ひろしゃん、

姫は、

あん犬は、

人様に一度やった犬ばい。

しょんなか、、

もう、うちで飼うことはでけんばい。

そいに、赤ん坊が腹ん中にいなさる、

もうすぐ、子犬ば産みなっしゃる、

あげんか体で行ったり来たりしてたら

ほんに、姫も死んでしまうばい。」

諭すように、僕に言った。


姫はそれから、祖父のもとへ来ることはなかった。

そして、暫くして、子犬を産んだ。


数年後、祖父は亡くなった。

祖父は事あるごとに、姫のことを気にし

姫の体のことを気遣い、

姫に子犬が産まれた時には、

「これで姫に、旨い肉ばこうて食わしてくれんね」

と、飼い主に、お金まで渡した。


何十年も犬達と生活し

自分が死ぬ前に飼った犬が

姫だった。

最後まで面倒を見切れなかった事を

悔い、

姫の幸せを、心から願った。


祖父は強く優しい人だった。

怒ることなど、

ほとんど、なかった。

大きな体で、いつも微笑んで

人の心配と世話ばかりをやいていた。


妻を愛し

子供を愛し

家族を愛し

友を愛し

仕事を愛し

地域を愛し

九州を愛し

国を愛し

犬を愛し

孫たちまで

ほんとうに、愛してくれた。

けっして弱音を吐かない

明治の男だった。

すべての風を、すべての嵐を

全身で受けとめられる

大木のような「守れる人」だった。



おじいさん

ありがとう…

心から、ありがとう。


2009.04.25 記す
スポンサーサイト

2012.11.23 Fri 生きよう

「もっと、こげ!もっともっと!!」

吸い込まれるように走り出した自転車に向かって

僕は大声で叫んだ。


僕が父親として子供にしてやったと胸を張って言えることは

自転車の乗り方を教えたことぐらいだ。

三人の子供がいれば、三者三様。

性格も運動神経もセンスも違う。

教え方も徐々に上手くなり、三人目の長女には

のんびりと負担を掛けずに時間をかけて、補助輪をはずした。

次男は生まれつきバランス感覚がいい。

広場で数時間、数日、教えただけで、

軽々と乗りこなし、8の字をきった。

ただ長男だけは別だ。

根性と力は人一倍あるのだが、

逆に腕に力が入りすぎて上手くいかない。

何度後ろから支えても、走りだすと倒れる

その上、目線が近くハンドルがぶれる。

もっと、力を抜け。遠くを見ろと言っても同じ。

そのうち、人の話を聞かなくなり、

ますます意固地になって自分のやりかたを通そうとする。

センスの悪さだけでなく、性格も合わさって

ますます覚えが悪い。


やがて、同学年の子供たちはみな補助輪なしで走りだす。

一週間に一度公園で数十分教えるのだが、なかなか覚えない。

力強く後ろから押して手を離すのだが、

手を離したと同時に倒れてしまう。

言うことを聞こうとしない長男に、いらつき、教え方も雑になる。

最初は一生懸命だった長男も、

倒れる姿を近所の子供たちや

その母親達に見られるのが恥ずかしいのか

やがて、練習を嫌がるようになった。



「今日は練習しないのか?」

公園に行っても、まわりの子供たちをみると

自転車に乗らずに帰って来た。

とうとう、その日は練習をしなかった。



ふと、夜になって、ビールを飲みながら、

あの時の寂しそうな子供の顔を思い出した。

なんか、せつない気持ちになった。



僕は朝、30分早く起きると、

「ともや、マンションの下で練習しよう。

朝なら誰も見てないから」


僕もあせり過ぎた。

子供のことをよく見ずに、考えずに

自分の気持ちのまま、

こうあるべきだというのを押しつけていたかもしれない。



最初から少しづつ、両足をついて少しづつ

慌てずに、その子をよく見て

その子にあわせて気長に怒らずに、

毎日15分ずつ。

5メートル、10メートル…

次の日も

その次の日も

そして、またまたその次の日も練習した。

「よし、今度の休みはあの公園でまた練習しよう」


休みの日、空は晴れていた。

少しだけ緊張する長男の鼓動を感じる。

「いいぞ、その調子、少しでいいからな」

そうはいってもそんな簡単には乗れやしない。

「おっ!もう少しで走れそうだぞ」

「あぶない!大丈夫か、怪我してないか、もう帰るか?」

長男は首を横に振った。

倒れても、倒れても立ちあがってくる。

6歳のほんの小さな子供が

何かを掴もうと、負けん気だけで立ち上がってくる。

膝をすりむいても、少し走れた喜びに立ちあがってくる。

その時だ、ツバメの子供が時を迎えて空に飛び立つように、

スーっと自転車が走りだした。

「こげ、こげ、こげ、、、!」

僕は大声で叫んだ。

力いっぱいペダルを漕ぐ子供の後姿。

僕はとても嬉しくて興奮して叫んだ。

「こげー!」



倒れた自転車を起こしながら子供のズボンについた泥をはたいた。

ともやは自信満々の顔をして、どうだと言わんばかりに僕をみた。

夕暮れ時、ちっちゃな息子とふたり、話しながら帰った。

「今日はカレーかな?

ママに報告しような。

ご飯たべながら!

走れるようになったって。

ママ、驚くぞ!!」



あの日のことを忘れないでほしい。

人はいろいろ

頭の良い奴、悪い奴

運動神経の良い奴、悪い奴

センスの良い奴もいれば悪い奴もいる

だけど、大切なのは目標に向かって

なんとか、頑張れる奴でいられるか?ってことだと思う。

良いも悪いも人それぞれの個性。

自分を好きになって、他人を好きになって

良い悪いにこだわらない、好き日を歩いて欲しい。

あの日、何度倒れても、何度倒れても、立ちあがり

膝をすりむいたり、手を怪我したり

痣を作っても、立ちあがって

歯をくいしばって頑張った、小学1年生の6歳の自分を

忘れないで欲しい。



走り出した時に、懸命にペダルをこぐ小さな後ろ姿。

あの日の感動と、喜びを僕も忘れずにいたい。

いつか社会に出て、苦しさに負けそうになった時、

倒れても、倒れても、、

何度でも立ち上がった自分がいたことを、

思い出して欲しい。


これから、まだまだ遠く長い道を

自分の足で歩いていかなけりゃならないな。

たいへんだな!

もちろん、俺もたいへんだよ!

まだまだ、働かないと、頑張らないと!!



明日が幸せな日々でありますように。

そして、

今日も好き日に…。


2009.06.16記す

2012.11.21 Wed 生きよう

ひまわりが庭いっぱいに咲いていた

僕と妻は青空のした、それを見つめていた

生まれたばかりの長男が、

ぐずりながら、大きな泣き声をあげた

「おなか減ったみたい…」

あやす妻に、赤ん坊は

さらに、身を捩りながら

僕たちのひまわり畑のなか

大きく泣き声をあげた。



僕らは結婚して、小さなアパートに住んだ

駅から歩いて20分もかかる、坂の上のぼろアパート

付き合いだしてすぐに結婚を決めたので

式場の予約その他で大忙しだった。

会社から家に戻る途中、電車の窓から見た景色が

なんとなく気に入った駅にふと降り立って、

一番近い不動産屋で

10分も掛けずに決めてしまったアパート。

妻はこちらに嫁いで来るまで

その部屋を知らずに

はじめてその部屋をみたとき

「ここが二人のはじまりね、

…でもちょっと、カビ臭いね」と、笑った。



僕らの部屋は一階だった

部屋のそとには庭がひろがる。

庭は横4世帯分、何もなく横に広がる。

空き部屋も多く、一階は僕らを入れて

当初、2世帯しか住んでいなかった。

雑草だけが、わずかに生えている庭。

とても寂しげな庭。



僕らは植木鉢を買った。

季節の花を育て、水をやった。

植木鉢では物足りなくなり、

プランターに土を入れ

庭に飾った。

やがて、窓の外に、

植木鉢とプランターがたくさん並び

色とりどりの花を咲かせた。

春はパンジー、ビオラ、チューリップ

夏にはペチュニア、ミニバラ、サルビア、ロベリア…

朝顔、ひまわり…ニチニチソウ

秋にはコスモス、ダリア、キク、マリーゴールド

冬にはポインセチア、シクラメン、ハボタン…

数え切れないほどの花々を植えた。



一年目の夏

庭に植えたひまわりが、大きく咲いた

ぼろアパートだったけれども

前が大きな駐車場で、南向きの部屋

まぶしいくらい太陽があたった。



部屋を出て会社に行く時、帰って来た時

僕らのアパートの庭に咲く大きなひまわりが

いつも手を振ってくれるようだった…



花々に惹かれてか、いつのまにか

空き部屋はなくなり、賑やかな空気が流れだした

小さな子供たちの声があちこちで聞こえた。

三輪車がころがる

洗濯物が、風に揺れる…



二年目の夏は

赤ん坊がいた。

僕はその子の為にも

一年目以上に、ひまわりの種を植えた。



坂の上のぼろアパート

ひまわりに囲まれて

長男が大声で元気よく泣く

僕らは笑っていた

僕はおどけて、赤ん坊をあやしていた。

青空のもと太陽の光をいっぱい浴びて…

2009.04.05記す

2012.11.20 Tue 生きよう

「あなたは、あれだけ可愛がってくれたお祖父さんの

お葬式にも行かなかったんだから…」

昔、よく両親と呑み、祖父の話が出ると

母が僕に対してチクリと言った。

母は僕を実家のある九州で産んだ。

2か月後、神奈川に戻るとき

祖父は母と同じ寝台車の中、

一睡もせずに僕を抱きかかえていたという。

「頭が揺れて、馬鹿になったら大変だからな」

お前は寝てろと、母を寝かせて

十数時間、僕の頭が揺れないように

抱きかかえていたという。

「ゆっくり寝て、正さんに元気な顔をみせてやれ。」

祖父は父の事を、さん付けで呼んだ。

酒好きの父のことをとても大切にして

自分はあまり酒が呑めないのに、

父が来ると、めい一杯の酒を振る舞った。

酒の強い父が酔っ払って、眠りにつくまで

祖父はどっしりと、朗らかに話に花を咲かせた。

母には許嫁がいた。

ある日、突然父が現れて祖父に娘さんと結婚させて欲しいと許しを請うた。

惚れた男と女が夫婦になるのが一番いいと、

しょうがなかと、話を収め、謝りを入れたのも祖父だ。



「働くことは生きること。」

「仕事とは自分の存在を確認すること。」

バブルの始まりとともに、社会に出た僕は

目まぐるしい日々の中、

社長や会社の幹部連中の前で、

酔っ払いながら、饒舌に話していた。


朝早くに家を出て、

午前零時過ぎに酔った足取りで、家に着く。

酔いを醒まして、彼女に会いにいき

朝方、ほんの数時間眠って仕事に出掛ける。

最終電車ギリギリまで遊んで呑んで帰り、

駅を乗り過ごして、とんでもないところで目覚めて

凍える夜を明かしたり、タクシーもつかまらず、

夜の静かな街を彷徨い歩いたことも何度もある。

めちゃくちゃな数年間だった。

けれど、必死で働き続けた…。



休むことは罪だった。

有給なんてあってないようなものだ。

一年365日、仕事のことを考えさせられ

休日の自主出勤も当たり前だった。

遣り甲斐を求めて、その仕事を選んだ。

小さなアパレルメーカーだった。

入社時、十数名しかいなかった会社。

十数年後にはアルバイトも含めると、

数百人に膨れ上がった。


祖父が亡くなったことを母から聞いた。

年間、数億の売り上げを僕だけでも上げていた。

働かなければいけない。

商談もある。

市場は日々変わる。

一日一日が勝負だ。

若くして、チーフ、係長になった。

働かなければいけない…。



同じ頃、社長の母親が亡くなった。

葬式で手を合わせながら

僕は祖父にすまない気持ちでいた。

他人の葬式で走り回り、

身内の葬式に足を向けた。



会社の業態はぐるりと変わった。

ものを企画して製造して卸すというやり方から

自分のところで作ったものは、

自分の店で売るという形に。



会社の中で流れに取り残されているような気がした。

結婚して仕事だけの日々に疑問を感じ始めていた。

体が悲鳴を上げ始め、仕事仕事でかまってやれない長男は

他人を見るような眼で僕を見た。



いくつかの店をまかされていた。

予算と売上実績に誰もが責め立てられる。

朝礼の後の会議で、社長にいわれた。

「…を辞めさせろ。」

彼女はショップを出し始めた頃の、

初期のメンバーの一人だった。


「いえ、社長。彼女は長く会社のために、働いてくれてます。

一生懸命、店の為にやってくれてます。

僕には彼女をやめさせることは出来ません。」

「それなら、お前はどうやって売上をあげるんだ!」

僕は社長に噛みついて、自力で売上を上げると口にした。


彼女は店長だった。店の女の子には評判が良くなかった。

威圧的で、自分に逆らう子は冷たく無視した。

好き嫌いが激しく、気が強い。

しかし、接客は上手く、責任感は人一倍あった。


長く働いて仕事には慣れているが、

自分の意見を持ちすぎて、素直さがない。

しかし、本当のところは

年をとって角が立ち、売場のイメージに合わない。

会社としては若くて綺麗な女性を

その店の顔にしたかった。



売上はいかなかった。

朝の会議で部長が言った。

「…が、店の売り上げがいかないのは、

お前のせいだと言っていたぞ!

お前が売れ筋商品を入れないからだと言っていた。

お前は社長に噛みついて、彼女を守ろうとしたのになぁ…」

部長はいたわる様な眼で、僕を見て言った。

胸が締めつけられた。

店に行くと、彼女が笑いながら言った。

「昨日、さんざん部長に怒られちゃった!

もっと、頑張って売上を上げろって…」

僕はもう頭に来てはなかった。

そう、彼女も自分が大切なんだ。

生き残るために必死なんだ。

自分をを守るために懸命なんだ。

体の力が抜けて、

僕は言葉を失った。

その日、僕は辞表を書いた。


翌月から退社するまでの2ヶ月間

仕事の内容は露骨に雑用に変わった。

プライスを付けたり、出荷中心に変わり、

アルバイトの連中に混ざって、仕事をこなした。


後輩や昔の部下が声をかけてくる。

僕は冗談交じりに言う。

「俺は負けない!」


退職の日、仕事は昼で終えた。

簡単な挨拶をして、ビルを出た。

原宿の公園に寄った。

十数年前、この会社に入社したとき

同期と帰り道、ここで夢を語り合ったな。

その当時流行ったDCブランドのスーツを着て、

みんなキラキラのお洒落をしていた。

あの日、桜が咲いてた。

とても、綺麗だった。

花びらがひらひら、舞っていた。

僕はカジュアルな格好でベンチに座りながら

花も葉もない2月の終わりの桜の木々を見た。

この桜もあとひと月もすればまた、

花を咲かせるだろう…。



「そんなに一生懸命、働かなくていいんだぞ

お前には辞めてもらうんだからな…」

誰もいないロッカールームの前で、

社長が確かめるように言った。

退職する少し前に交わした会話。

憤りと罪悪感と不安げな目をして、

「お前、自分で店を出さないか?

バックアップするぞ!経営者になれ」

子飼いの社員だった僕にそう続けた。

僕は微笑んで首を横に振った。




自分の住む駅に着いて、

改札を出た途端、

涙が零れおちた。

何も考えないのに

涙があとからあとから

零れおちた。

哀しみとも悔しさとも違う

すべてを洗い流すような

涙だった。

ヒックヒツクと鼻を啜りながら

悲しい顔は見せずに、前だけを向いて

歩き続けた。

涙ってこんなにしょっぱかったんだな…。

これでよかったんだ、これで。


暫くして、妻が子供たちを連れて帰って来た。

「駅前に友達といたのよ。

呼んだのに、気がつかないんだから!」

妻はベビーカーに次男を乗せ

小さな長男を連れ、買い物袋をたくさん持って

元気よく帰ってきて、言った。


鯛の刺身や、料理を並べて

僕の大好きなワインを買ってきてくれた。

「お疲れ様でした!」

ビールをつぎながら妻が笑った。

「明日からどうやって生きようか?」

「いざとなったら、子供をあずけて、私も働くから!」

「実家に転がり込むか?

女房とちっちゃな子供ふたり、

買ったばかりのマンションの借金は数千万か?

最低な父親だな!」

「いざとなれば、売って

最初にもどればいいのよ!」

「そうだな!とりあえず乾杯…」

子供たちがそばで楽しそうに遊んでいた。






十年以上前のことを

書いてみました。


この十年、自殺者は毎年

3万人を超え、この十年で

30万人を超えます。

昨今の不景気は深刻なものです。

多くの失業者が生まれ、

絶望の中、苦しんでいる方々も大勢います。


僕は十年前、

自分自身に向かって言いました。

俺は負けない

悔しかった、、、


今、どこかで

苦しみながらこのブログを

読んでいる人がいるならば

伝えたい


負けるな!

挫けるな!

ファイトだぜ!


俺はあの日、自分の事を

冬の桜だと思った

お前も桜だよ!

今は寒くて、葉も花もないけれど

やがて春が来て、

きっと満開の花が咲く!


だから、

ぶざまでも

みっともなくても

踏ん張って、生きろ

きっと、春はやってきて

花は咲く


俺、ぶざまだったよ

だけど、

なんとかなった。

とりあえず、

生きよう。

絶対に、

あきらめるなよ!

這いつくばっても

ゲロ吐いても

みっともなくても

生きろ

生きろ

生きろ

生きよう !


2009.05・01 記す

2012.11.20 Tue 生きよう

子供のころ、父の引き出しを開けて見るのが好きだった。

その中には、時代物のコンパスやシャープペンや外国の切手や

子供の頃の写真や、古い硬貨などが入っていた。

ある日、その中に小さな石膏でできた鳩笛を見つけた。

子供の僕は唇をそっとつけて、吹いてみた。

静かな小さな風の音がした。



昭和20年7月27日の深夜、福岡県大牟田市の街に

アメリカ軍爆撃機による空襲 があった。

6月18日の大牟田空襲で疎開した人々が

もう大丈夫だろうと、戻ってきてすぐの空襲だった。

何十年も前のことなのに、父はその日付さえ覚えている。

終戦の約二十日前のこと。



終戦間際のB29爆撃機による日本全土における

焼夷弾の投下は凄まじく、

東京大空襲をはじめ、

名古屋、大阪、神戸、横浜、福岡、鹿児島など

多くの都市への空襲が日々遂行された。

数十万人の罪もなき人々が、

灼熱地獄の中、苦しみながら命を落とした。

民間人無差別爆撃は残酷に人々を殺戮し、

焼け野原に屍が転がった。



「来たぞ!」

その声が家々にこだました。

蚊帳をたたんで

リュックサックを担いで

14歳の父は両親と弟や妹をつれて逃げた 。

炎の中、焼け落ちる建物と煙の中、

街から離れた親戚の家に向かって。


逃げた

逃げた

必死に生きるために逃げた。

逃げるさなか

火の粉でシャツがやけ

脇腹が焼けて跡になった 。


子供の頃、風呂上がりの父の脇腹に

やけどの跡をみた。


「敵機がきたぞ!」という声とともに、焼夷弾が落ち、

火の海 に変わる。


少し前から一番下の妹の下痢が止まらなかった。

その当時、赤痢や腸チフスが栄養失調とともに流行っていた。


数えで5歳の妹。

とても、小さな妹。

長男の父は、その一番下の妹をとても可愛がった。


下痢の止まらない妹を

母親が担いで火の粉の中を逃げまどう 。

少年だった父は時折、妹に声をかける。

数えで5才の妹は、苦しいなか母の背で微笑んで

兄の顔をみた。

「もうすこしの辛抱だぞ。

もうすこしで、つくからな。

叔母さんの家についたら、

寝ような、

ごはんたべような。

我慢するんだぞ…」


何時間も、歩き続けた。

ようやく、叔母さんの家が見えた。


「死んでるよ」

玄関口でおろした妹をみて、叔母さんが言った。

叔母さんの家に着いた時、妹は死んでいた。



爆破された火葬場の門のそばで

父親に連れられ、二人で、木々を集めて、妹を火葬したという。

多くの人々が死者をその場所で火葬していた。

青白い死者を燃やす煙が空に立ち上り、その臭いがいつまでも鼻に残った。


父がかわいがった妹のポケットには、

そんな妹が大切にしていた小さな鳩笛があった。

そんな時代、おもちゃなんて何もない。

たったひとつの鳩笛を嬉しそうに吹いていた。

父はその鳩笛を、何十年間と大切に持っていた。

引出しの隅に、ずっと持っていた。


先日、実家に行くと、

父が百花と直登に戦争の話をしていた。

共同の洗い場でホースから水を浴びて、

ぴょんぴょん、乾くまで待っていたよ。

服なんて着ているものしかなかったから。

大根飯や芋ばかり食べて、

おならばかりしていたよ!

子供たちが笑う。

皿や茶碗は木の箱に入れて、土に埋めていた。

自分の家の焼け跡を掘ってとり出した。

教科書なんてない。

だからみんな先生が黒板に書いたのを、必死で覚えたよ。

おじいちゃんは同級生の米屋の女の子にノートと鉛筆をもらったけどね。

女の子に少しもてたことを自慢気に言う。


親を無くし戦災孤児になった友達は収容場に入れられた


そんな子供達のために 、

ガキ大将の父は、子分を集め畑に忍び込むと

でっかい石を叩き落として、

「おじさん、スイカ割れてるぞ」

「そうか、、、なら、持って行っていいぞ」

父は親を無くした子供達が遊ぶ

川沿いの場所に、

スイカを何度も持って行った。


「何で、日本はこんなに発展して、

平和に暮らしていけるかわかるか?」

父が直登に聞いた。

「それは、日本が戦争をあれ以来しないからだよ。

戦争はしちゃ、いけない。

戦争はしちゃいけないんだよ、なおちゃん…」


2009.6.11記す



2012.11.18 Sun 生きよう

昨日は午前中はどしゃ降り

午後になって、雨がやんで青空がひろがった


雨上がりの青空をみると

時折、思い出すことがある

高校三年の初夏、亡くなってしまった友達のことを


彼は高校2年の初めに僕の通う高校に転校してきた

以前通っていた高校はとても優秀な私立の高校で、

なぜ、彼が僕らのような学校に転校してきたのか

不思議だった。


体を壊して、家に一番近い高校。

それが、転校の理由だった。


そんな、彼が僕に言った言葉で忘れられない言葉が、ある

「ぼくは、ひろの歌の方がすきだよ。こころに感じた。」

ぎこちなく、静かに、自分の学ランの胸を、片手で押えて言った。


高校の文化祭で僕はギター一本もって歌ったことがある。

自分の本当に好きな歌をうたった

流行り歌ではなかったので、

次に歌った人と比べると、

盛り上がりに欠ける、寂しいものだった。


その日の僕が、少し寂しそうに見えたのか

普段あまり話さない彼が、近づいてきて

微笑んで言ってくれた

「僕はひろのほうが、好きだよ」


あの日の僕は、何も言わずにその場から

立ち去ってしまったけれど

こころの中

本当はとても

うれしかったんだ

涙が零れ落ちそうなほど、、、


その日、棺桶の中にクラスメートたちは

白い花を差し入れた

代表がさよならの言葉と思い出を語ると

彼の母親の悲鳴にも似た、泣き声が

僕らのこころをしめつけた


帰り道、空には厚木基地から飛ばされる

ジェット機の騒音がこだまして

まばゆいばかりの青空に、いつものひこうき雲が線を描いた


医者になるのが夢だって言ってた

彼は生きようとしていた

ほんとうに生きたいと思っていた

癌に打ち勝って、また勉強がしたいと言っていた


何十年も前のことを思い出す

あの教室、机、彼のニキビ顔の笑顔と白いシャツ

大きめの眼鏡


さぁ、今日も僕はいこう

今を大切に生きていこう

僕は君にあの日いえなかった言葉をいおう


「ありがとう。」


ありがとう、安藤君

僕は君の事を忘れない

ぼくはきみのことを

ぜったいに、わすれないよ



2012.11.12 Mon 生きよう

娘が昨日、そろばんの大会で金賞を取って、

トロフィーと賞状を持って帰って来た。

机にそっと隠すようにしまって、

「ママが帰ってくるまで、言わないでね。」

娘はお婆ちゃんの家に、ジョンに会いに行った。

2012.11.11 Sun 生きよう

今日は朝早く目覚めた。

陽が昇る少し前の、ほんの僅かな時間、

オレンジ色に滲む朝焼けの空が、とても綺麗だった。

お茶が飲みたい。

紅茶とか、ハーブティとか、、。

今日が、明日が、幸せな日々でありますように、、。

2012.11.05 Mon 生きよう

この歳になってくると

自分にとって、必要なもの

必要じゃないものがだんだん分かって来る。

たいがいのものは、なくなっても困らない。

だけど、人との絆だけは大切にしたい。

その大切な絆が、少しづつほどけるように去る悲哀。

自分に向けて笑顔をくれた人が、

少しづつ、この世を去る。

両親がまだ健在なのが、せめてもの救い。

一期一会という言葉を噛みしめて、

人と対している時を、大切にしたい。

2012.11.04 Sun 生きよう

ここ数日、急に寒くなって来た。

駅からマンションに帰る途中、

光る自動販売機の前で立ち止まり、

百円玉を取り出す。

この粒粒がいいんだよなと、

今年も、おしるこ缶。

缶の中に残った、小豆の粒を、

上を向きながら、スースーと、、。

(やっと出た。)

小さなストレスの後の、満足感。

もうすぐ冬だね。

2012.11.04 Sun 生きよう

帰り道、後輩に向かって、にっこりと

「久しぶりに、あの店に呑みに行こう。」

新人や女性社員もいっしょに、四人で焼き鳥を囲む。

彼女のコップが倒れて、僕のズボンはびしょびしょ。

店を出る頃には綺麗に乾いて、僕は機嫌よく酔っぱらった。

2012.11.04 Sun 生きよう

悲しいニュースが日々流れる。

世の中には、奪うものと奪われるものがいる。

奪うものがいれば、必ずどこかに

奪われ悲しむものがいる。

2012.11.03 Sat 生きよう

ささやかな不満の積み重ねが、

そのドアを閉めたくなる

干乾びた男になる前に

自由にすがりつきたくなる
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。